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アロマテラピー

院長コラム 第4回 震災の記憶 

最近人に逢った時に(地震の時は、どうでした?)と聞かなくなってきました。

時間が経って慣れ?てきたんだなと思います。

今回は2年前の3月11日の震災について書きとめておこうと思います。

本当は2ヶ月前の3・11に書くのが不謹慎な言い方だとタイムリーなのでしょうがその時は書こ

うという発想がまるでありませんでした。

最近また地震も多いのでそんな気になったのかもしれません。

忘れられない事ですが、自分の中では無意識に忘れようとしてるのでしょう。

ですからまた記憶が鮮明なうちに書いておこうと思います。

お読みになる皆さんそれぞれに記憶が有ると思いますが、

これはたべ歯科院長の3・11の記憶です。

 

 

震災の瞬間は診療時間でしたが一通りの治療が終わり、患者さんに経過をレントゲンで説明してい

るところでした。

衛生士さんもクリーニングが終わり、患者さんに説明している最中。

今考えるとこれが治療途中だったら、、と思うとぞっとします。

たとえば抜歯の最中だったら、、とか考えてもヒヤヒヤ。

でもおそらく治療中だった歯医者さん、イヤ、手術中とか大変な治療をされていたのお医者さん達

もたくさんおられたでしょう。さぞ大変な思いをされたとお察します。

 

話が戻りまして、患者さんとお話している最中に小さな揺れを感じ始めました。

(ア、地震だ。)

はじめは小さな地震だと思ってましたが、収まらない、段々大きくなる、長い、これは尋

常じゃない!と気づき、すぐに患者さんに退避していただく様に診療椅子を起こしました。

たべ歯科は路面店ですから出口確保の為に外に通づるドアを急いで開けましたが

凄い揺れでドアがバン!と勝手に閉まってしいます。

(これはただ事じゃない!)

それでも従業員が揺れでドアが閉まるのを抑えてもらい、患者さんには表に出てもらう事にしまし

たが、果たして表に出てもらう方が良いのか、院内に留まってもらうのが良いのか全く判断がつき

ませんでした。

本当は表に出ると落下物が危ないのか、はたまた医院は1階なので建物がペシャンコになったら危ないのか。

しかし、映画で見る様に沈没する船の船長は最後まで船に残るが如く、院長も最後まで医院にのこらなくてはという妙な使命感だけが意味なく頭に浮かびました。

(結果的にはたべ歯科の内部は立てかけておいた小さな簡易コピー機が倒れただけで、あとは全くペン1本すら倒れたり落ちたりしませんでした。

ところが後で聞くと同じビルの5~6階のテナントは重い金庫が隅から隅に滑って移動したとのことなので1階は比較的揺れないもんだなと変に関心しました)

患者さんは院内にお二人、待ち合い室にお一人いらっしゃったのですが、お一人の患者さんが妙に

落ち着かれていて

(早く出て下さい!)と促しても

(イヤ、大丈夫でしょ)と大揺れの中、携帯をヒコヒコいじり出したのです。

自分はパニック状態でしたがこちらの患者さんの妙な落ち着きをみて自分も少し冷静になってくる

のがわかりました。(XX様ありがとうございました!)

(アー、福島が震源地ですね)

その患者さんが教えてくれました。(今考えるとよく携帯が繋がったものです)

表に出た人たちが三越本店の新館を見上げて

(三越があんなに揺れてる!)

と叫んでました。

聞くと三越新館がコンニャクみたいにグニャグニャ曲がって揺れていたそうです。

やっと揺れが静まり、患者さんには無事にお帰りいただきましたが

さて気がつくと全然電話が繋がらない。

携帯も固定も繋がらない。

メールも打てない。

余震も多い。

落ち着かない。

患者さんが来れなくてもキャンセルの電話も受けられない。

情報はネットとラジオだけです。

余震がひっきりなし。

実をいうとここまで情報がないと何が何だかわからないので意外と気楽でした。

わかっているのは大きな地震があって色々交通やら何かが麻痺してるんだろうなあという事。

たぶんこの分では患者さんも帰れなくなるので今日の診療はほとんど無理だなあという事。

金曜日なので今日をなんとか乗り切れば明日明後日は休診日なので月曜から立て直そうという事。

一応診療予約の患者さんの終了時間まで待機しましたが、今日ばかりは無断キャンセルでも致し方無しで、診療を終了しました。

交通情報を見てみるとすべての電車が止まってます。

医院に泊まってしまうというのも考えましたが、従業員が電車待機をするというので

(歩いて帰って、どこか適当な所でタクシーを拾って帰ろう)

と実に今考え直すとバカな事を考えてました。

しかし歩けど歩けど人の波。

道路は車がすし詰め状態。

全く動く気配がありません。

これはタクシーなんて無理と判断しました。

仕事場の日本橋から神田経由で靖国通りへ。

靖国神社の鳥居が見えて来た時は暗闇の行列で初詣に来ている気分になりました。

市ヶ谷で電車が動いてるか確認、全く動き出す気配なし。

(結局JRは1日動かなかったです)

またまた歩く、歩く、歩く。

飯田橋の防衛省の前では何やら騒ぎがありましたがくたびれてたので無視。

新宿のネオンが見えて来た時はなんだか現実に戻って来た感じがしてホッとしました。

ところが新宿では地震の為に落ちたガラスが散乱。

ありゃりゃ。でもそれ以外はほとんど普段の新宿と変わらない印象です。

電車が動いてないから朝までのもう!とかカラオケ行こうという人ががたくさんいました。

考えてみたら花金の」盛り場なのです。

思い返すとこの辺りで食事をしておけば良かったのですが、まだ少々距離があるので気力が失せないうちに帰ってしまおうとさらに歩を進めます。

まいったのはコンビニというコンビニは全部お弁当関係が売り切れ。

牛丼関係のフード店も早じまい。

もうおなかがペコペコ。

何とか家の近くのコンビニで(これ食べて大丈夫?)といった感じのカピカピのお弁当が売れ残っていたのでチョコレートと共に購入。

疲労と空腹の満身創痍でやっと家に到着。

結局家に到着まで3時間30分。普段の運動不足が身にしみます。

さて、大揺れの後なのでさぞ部屋はメチャメチャなのかと思いきや、意外や意外、医院と同じで何も倒れてません。

吊ってあったパンツが床に落ちていただけでした。

ところがお風呂が湧かせない。

ガスが止まってました。

どうも振動を受けるとガスというのは弁が自然に閉じるらしい。

どうやって弁を開くかわからない。

というよりマンションのどこにガスの弁があるのかさえ知りませんでした。

携帯で東京ガスのHPをみて(この時は運良くネットに繋がりました)ガス弁の開け方を見て、マンションの外に今まで1回も開けた事がない扉があるので開けてみるとガス弁が!

多分こういう事がなかったら一生開けなかったかもしれません。

やっとこさ風呂を湧かして冷えきった体を温めました。

やっと一息。

冷えてカチカチのお弁当を、湧かしたてのお茶で流し込みましたが

こういう時は何を食べても美味しい!

空腹は最大の調味料です。

そこへ友人から電話が。

携帯がやっと繋がったようです。

そこで初めて大津波で大変な惨事になってると知ったのです。

時刻は3・12になっておりました。


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